「『君が代』起立条例案」に反対し、撤回を求めます-3委員長声明-

2011年5月24日

憲法と教育の条理に背き、民主主義破壊の暴挙である「『君が代』起立条例案」に反対し、撤回を求めます

大阪教職員 組合中央執行委員長         田中康寛
大阪府立高等学校教職員組合執行委員長    志摩 毅
大阪府立障害児学校教職員組合執行委員長  戸田勝浩

1、はじめに

この5月府議会に、「大阪維新の会」が「府立学校における『君が代』起立条例案」(仮称)を、自民党が「府の施設における『国旗』の常時掲揚条例案」(仮称)を提出するとしています。これらの条例案は、府立学校を含む府の施設に「日の丸」を常時掲揚することに加え、府立学校での「君が代」斉唱の際に教職員に起立を義務づけようとするものです。さらに橋下知事は、対象を市町村立校に広げることや、不起立複数回で免職処分にできる処分条例を検討しています。

東日本大震災と原発事故を機に国の将来のあり方が問われているこの重大な局面において、橋下知事と「大阪維新の会」は突然に条例案を出し、府民の十分な議論や合意も全くないまま、「数の暴力」で条例制定を強行しようとしています。

橋下知事は「公務員は、ルールを守るのが当然」と主張して、問題を意図的に服務問題に矮小化しようとしていますが、条例案は憲法に違反して、個々人の思想及び良心の自由を条例で縛り、さらに具体的な教育活動に政治が直接に介入する教育への「不当な支配」であり、知事による二重の意味での憲法違反です。

条例案は、民主主義の根幹を破壊し、そして学校教育のあり方を変質化させる極めて重大な問題をもっています。ここにその不当なねらいと本質を明らかにし、条例案の撤回へ、幅広い府民的討論と共同を広げていくことを呼びかけます。

2、憲法遵守こそ、公務員の第一義的な義務

橋下知事をはじめ、すべての公務員は「憲法を尊重し擁護する義務」(憲法99条)を負っています。とくに教育公務員は、憲法を遵守する「誓約書」にも署名しており、憲法を遵守し、「不当な支配」に服することなく、全体の奉仕者として、父母・府民に直接に責任を負って、誠実かつ公正に職務を執行することが、第一義的な義務です。私たち公務員は、橋下知事が言う「国旗・国家を尊重し、擁護する義務」ではなく、「憲法を尊重し、擁護する義務」を負っています。そして公務員のあり方も、戦前の「命令に黙って従う」公務員から、「憲法に基づいて国民のために考え、行動する」公務員が求められています。

日本国憲法は、侵略戦争の反省のうえに立ち主権在民、平和主義、基本的人権の尊重が謳われ、憲法第19条で「思想および良心の自由は、これを侵してはならない」と個人の思想信条の自由を明確に保障しています。戦前、治安維持法によりこれらの自由が奪われ、侵略戦争が推進されたことから基本的人権の重要な構成要素として規定されています。一人一人の国民の内心の自由を保障することなしには、個人の自立はなく、自立した個人によってこそ民主主義社会は成立します。内心の自由は民主主義の基本です。

こうした憲法の基本的な精神に立ち、憲法を遵守する公務員の立場において、思想信条の自由を軽く扱うことは許されません。とくに国民の中で意見が分かれる「日の丸・君が代」問題について、これを一方的に押しつけることは、国民の思想信条の自由を侵害する問題となります。教職員に強制することは、必然的に子どもへの強制につながります。言い換えれば、教職員に強制する目的は、子どもに強制することにあります。一方的な「押しつけ」に反対することこそが、憲法を遵守すべき公務員としての第1義的な義務です。そのため、これまでも司法の場で争われてきました。3月の東京高裁判決は、東京都教職員167人への処分を「懲戒権の乱用」として取り消しを命じています。「君が代」強制に反対している教職員のなかには、いい仕事を通じて子ども・保護者からの信頼が厚い教職員が少なくないことは、現場でよく知られている事実です。

憲法を順守し模範を示すべき知事が、こともあろうか憲法を真っ向から否定しようとしています。思想信条の自由にかかわる問題を、「数の暴力」で条例化し、教職員と教育を思い通りに操ろうとすることは断じて許されません。

3、「条例」で強制するのは、「内心の自由」を侵害する憲法違反 ―民主主義破壊の暴挙―

(1)「内心の自由」に関わる問題を「条例」で強制することはできません

国旗・国歌法が制定された現在においても、国民の中には「日の丸」に敬意を示すことや、「君が代」を歌うこと自体が、自らの思想・良心の自由に抵触し、抵抗があると考える人が少なからず存在しており、このような考え方も憲法19条の「思想及び良心」に含まれ、憲法上の保護を受けます。とくに「君が代」斉唱時の起立を義務付ける条例案は、たとえ条例自体には罰則が存在しなくても、地方公務員法違反による処分が可能となることから、強要による人権侵害は重大です。条例で、斉唱時の個人の行動まで規制することは、日本国憲法が定めた国民主権(1条)、基本的人権の尊重(11条)、個人の尊重(13条)、思想及び良心の自由(19条)などに明らかに反するものです。

公務員の職務の公共性に由来して、公共の福祉の見地から、思想・良心の自由も内在的制約を受けることがあり得るという見解があります。しかし公務員の職務の性質と無関係に、一律全面的に公務員の憲法上の自由を制限する根拠となるものではありません。とくに制約の対象となっている憲法上の自由が、思想・良心の自由という精神的自由権の場合、その制約は他者の人権を侵害するなど公共の福祉に反する場合に限り、必要かつ最小限度のものに限られるべきであり、「条例案」による一律の強制はできません。

(2)「国旗・国歌法」には、尊重義務規定がありません

「国旗・国歌法」は、「1、国旗は日章旗とする。2、国歌は君が代とする。」という2条だけで、国民に掲揚や斉唱を義務付ける条項は、いっさい設けられていません。それは制定時の1999年の国会審議の中で、「日の丸」は侵略戦争を進めるために利用された歴史があり、「君が代」は歌詞の内容が、国民主権と矛盾するということから、国民の間でも「強制」や「義務づけ」はなじまないという意見が広がり、国民への義務づけや強制はしないという確認・合意がなされてきたためです。

当時の小渕総理をはじめ「義務づけを行うものではない」ということが繰り返し確認され、有馬文部大臣は「これによって,国旗・国歌の指導に関わる教員の職務上の責務について変更を加えるものではない」(8/2)、「教育公務員として・・、その人が最終的に内心の自由でしないということは、それはやむを得ないと思います」「制約と申しあげているのは、内心の自由であることをしたくない教員が、他の人にも自分はこうだということを押し付けて、他の人にまでいろいろなことを干渉することは許されない」(8/4)、と答弁しています。さらに野中官房長官は「人によって、式典等において、起立する自由もあれば、また、起立しない自由もあろうかと思うし、また、斉唱する自由もあれば、斉唱しない自由もあろうかと思うわけで、この法制化はそれを画一的にしようというわけではない」と、はっきりと答弁しています。

「日の丸・君が代」は、いまだ国民には定着していない

当時の世論調査では、「『君が代』法制化反対」58%(JNN8/2)、「もっと議論を尽くすべき」66%(朝日6/30)となるなど、国会審議がすすむにつれて法制化反対が賛成を上回り、徹底審議が圧倒的世論となり、野中官房長官も「世論調査の結果で十分国民に理解されておらないところでございまして」(7/30)と答弁しています。

橋下知事は「公務員として当然のこと」と威丈高に述べていますが、「日の丸・君が代」は、いまだ国民には定着せず、賛否が大きく分かれている問題であることが、法制化をめぐる審議でも明らかになっており、義務づけや強制は「当然のこと」ではありません。さらに「日の丸・君が代」の露骨なおしつけをすすめた東京では、その暴挙に対して7割をこえる都民が「行き過ぎだ」「義務付けるべきでない」(東京新聞04.7.5)と反対の意思を表明しています。最近の裁判例でも、「『日の丸・君が代』は、政治的・宗教的に見て、未だ価値中立的な存在となるまでには至っていない」とする判決(東京地裁06.9.21)もあり、国民の間には、なお「日の丸・君が代」に対する多様な考え方が存在する状況にあります。

(3)どこにも「義務付け」の法的根拠がなく、前例もない

義務づけの根拠となる法律はなく、全国の都道府県においても、これまでに同様の条例案が制定された例は一切存在しません。もし国旗・国歌が国民に定着するよう意図するのであれば、広く国民の議論や意見交換を経て理解を広げるという方法がとられるべきです。そうした方策をまったく取らずに、今回のような条例により一方的に義務を押しつけるやり方は、人権侵害や混乱・対立をもたらすだけで、マイナスの効果しか生じません。「条例案」はただちに撤回すべきものです。

4、「条例」化は、教育を「不当に支配」する憲法違反

(1)教育への政治介入は、教育への「不当な支配」

橋下知事は、教育委員会を頭越しにして、入学式・卒業式という教育の具体的な内容・方法を、条例によって統制しようとしています。しかし現在の教育委員会制度は、戦前の教育が政治に支配され、侵略戦争を推進する道具とされたことを反省し、教育の自主性と政治的中立性を保持するために独立した行政委員会として設置されています。そのため教育行政は一般行政と異なり、命令監督ではなく指導助言をむねとしています。これを頭越しにして政治介入する「条例案」は、明らかな教育への「不当な支配」であり、憲法13条、23条、26条に反し、断じて許されません。

「教育基本法の解説」(教育法令研究会,1947年)は次のように述べています。「政治と教育の間には一つの重大な相違点が・・即ち、政治は現実生活ことに経済生活をいかにするかを問題とするのであるが・・教育はあくまで未来を準備するのである。社会の未来に備えることが教育の現在なのである。」「民主主義に則る政治は、政党の発生を必然的に伴い、政党間の競争と妥協によって運営されるのであるが、教育はたとえ民主主義下においても、そのような現実的な力によって左右されないことが必要なのである。そこで・・その関係に両者差異が認められなければならない」「教育に侵入してならない現実的な力として、政党のほかに、官僚、財閥、組合等の・・現実的な勢力の侵入に対してしっかりした態度をとり、自主的に行われなければならない」

(2)教育行政であっても、教育内容に対する「不当な介入」は認められない

学習指導要領が、「日の丸・君が代」の掲揚や斉唱の方法を記していない理由 ―

教育は、とくに自主的かつ創造的になされるべきものであり、教育行政は一般行政と異なり、命令監督ではなく指導助言をむねとしています。そのため最高裁判決は、法律にもとづく教育行政の行為でも教育への不当な介入となり得ると判じ、教育内容への国家的介入の抑制を求めています。学習指導要領において、「日の丸・君が代」の掲揚や斉唱の方法など、具体的な教育の内容と方法については記さず、各学校での判断としているのはそのためです。学習指導要領は条例制定の根拠とはなりません。「条例制定」は、この各学校での判断に直接に介入する「不当な支配」そのものとなります。また教職員に「起立」を強制することは、必然的に子どもへの強制につながるものであり、「一方的な観念を子どもたちに植えつける」ものとなり、憲法上許されません。

「もとより、政党政治の下で多数決原理によってされる国政上の意思決定は、さまざまな政治的要因によって左右されるものであるから、・・党派的な政治的観念や利害によって支配されるべきでない教育にそのような政治的影響が深く入り込む危険があることを考えるときは、教育内容に対する右のごとき国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請されるし・・子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば誤った知識や一方的な観念を子どもたちに植えつけるような内容の教育を強制することは、憲法26条、13条の規定上からも許されない・・」「教育行政機関が,法律の授権に基づいて普通教育の内容・方法について遵守すべき基準を設定する場合には,教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のため,必要かつ合理的と認められる大綱的な基準に止められるべきである」(旭川学テ最高裁大法廷判決)

(3)教育には、命令・強制はなじまない

戦後の学校教育法は、国民学校令から「学校長ノ命ヲ承ケ」を削除し、「教諭は、児童の教育をつかさどる」(学校教育法第37条)と定め、学校長による個々の教員の教育内容に対する命令・強制が否定され、教員の教育権を法的に保障しています。

ここから、教育の内容・方法など専門的な事項は、教員免許状を有し、教育を通して国民全体に直接奉仕し、責任を負う責務をもつ教員の教育権に基本的に委ねられ、その教育課程を編成する権限は学校にあります。

教員が子どもたちに教える内容は、真理・真実に基づくものでなければなりません。そして真理・真実は、権力や多数決によって決定できないものです。そのため学問・研究の成果に立った真理・真実のみに忠実な教育をすすめるためには、権力にも、暴力にも、金力にも左右されない自主性が不可欠となり、憲法23条はこれを「教授の自由」を含む「学問の自由」として保障しています。すなわち、教員が時の政府の権力的な支配に服することなく、自由に研究が保障され、それらの成果に基づき教育課程を編成し、教科書やその他の教材を自主的に採択し、またさまざまな教育活動上の創意、工夫が尊重されることです。それは好き勝手な教育をしてよいという意味ではなく、学問・研究の成果をふまえた教育指導をすすめていく上で、こうした自主的権限の保障が不可欠だからです。

さらに教育という営みは、一人ひとりの子どもの人間的な成長・発達を促すという特性をもっており、人間的な働きかけ、人格的・精神的作用の発揮によってすすめられるものです。そのため政治権力や行政機関からの介入・干渉や、命令、強制では教育は成り立たず、教育にはなじみません。こうした教育の営みを、条例で統制し、内心の自由にかかわることを命令で強制することは、憲法をはじめ戦後教育法体系の許すところではありません。

5、「日の丸」・「君が代」問題とは? ― 憲法に基づく対応を ―

「日の丸」は、第二次世界大戦においてアジア諸国2000万人の命を奪った侵略戦争のシンボルとして使用された歴史を有しており、現憲法の平和主義および国際協調の理念とは相容れません。「敵軍を追ひはらって、せんりゃうしたところに、まっ先に高く立てるのは、やはり日の丸の旗です。」(初等科修身一・1942) この歴史を消すことはできません。

「君が代」は、天皇が統治する国家を賛美する歌詞であり、現憲法の基本原則である国民主権とは相容れないものです。「この歌は、『天皇陛下のお治めになる御代は、千年も萬年もつづいて、おさかえになりますよやうに。』という意味で」「戦地で兵隊さんたちが、はるかに日本へ向かって聲をそろへて、『君が代』を歌う時には、思はず、涙が日にやけたほほをぬらす」(初等科修身二・1942)というように、「君が代」は「日の丸」とともに皇国教育の柱であり、アジアに対する侵略のシンボルであったことは明らかです。

そこで国民の間には、なお「日の丸・君が代」に対する多様な考え方が存在しており、その歴史的経緯に照らし、国民の中には「日の丸」に敬意を示すことや、「君が代」を歌うこと自体が,自らの思想・良心の自由に抵触し抵抗がある人や、あるいは疑問ないし複雑な感情を有する人は数多く存在しています。

憲法改悪、改悪教育基本法の具体化の動きと結んで、教育現場には「日の丸・君が代」のおしつけをはじめ、愛国心や忠誠心など「お国のために命を投げ出す人づくり」へ、「心の支配」をねらう国家主義教育のおしつけが強められています。

「日の丸・君が代」の賛否については意見が分かれますが、「一方的なおしつけ」の不当性については、多くの府民の間での合意が可能です。「おしつけ反対」の一致点で府民的な共同を大きく広げていきましょう。

<子どもには、事前の説明を>

憲法26条、13条の規定から、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば一方的な理論や観念を子どもに教え込むような内容の教育を施すことは、許されません。入学式・卒業式等の学校行事において、国旗の掲揚・国歌の斉唱を実施する場合には、学校は子どもの思想・良心の形成に配慮し、その成長・発達の段階を踏まえながら、一方的な理論や観念を教え込むことのないよう配慮しなければなりません。そのためには学校行事において、国旗に向かって起立することや国歌を斉唱することが強制ではないこと等を、事前に説明することなども必要となります。

以上のように、「条例」によって教職員に対して「起立」等を強制することは、教職員の思想・良心の自由及び子どもの学習権に対応した教職員の責務ないし教育の自由という観点からも許されません。

6、ねらいは、府政における強権政治の推進、確立

憲法に違反し、法的な根拠がどこにもなくても、「条例」制定を強行しようとする橋下知事の背景には、強権政治の確立をねらう政治的な意図があります。5月府議会には「「君が代』起立条例案」と一体に、府議会の「議員定数削減条例案」が提出され、強行がねらわれています。この「条例案」によって、現在でも、62の選挙区のうち33に及ぶ1人区が、改悪によって48とされ、全選挙区の8割が小選挙区となります。そうなると「大阪維新の会」は、今回41%の得票で52%の議席を獲得しましたが、同じ41%の得票で61%の議席を奪い、独裁体制を強めることになります。

こうした府民の多様な意見、少数意見をまったく切りすてる選挙制度の改悪と結んで、今回の「「君が代』起立条例案」は出されてきており、強権政治の確立、固定化へ、教職員・府民の心の支配をねらうものといえます。そして教育を、憲法の理念と原則から逸脱させ、子どもたち一人ひとりを人間として大切に育てることよりも、行政権力の政策に従属させ、思い通りに操ろうとしています。

橋下知事は今、府民生活そっちのけで、大阪都の目的は「企業に儲けてもらうこと」だと露骨に語り、府民のための施策を切り捨て、

大型開発を強引に推進しようとしています。今後、府民要求との矛盾が、大きく拡大していくことは避けられません。

さらに橋下知事の人気は、一定高い状況がありますが、支持率は全体として低下し、批判も確実に強まっています。高い人気は、「頑張っている」「何かやってくれそうだ」という漠然とした期待や「幻想」によって支えられており、府民の期待を裏切る実態と、厳しい暮らしの現実はどんどんと広がっており、「幻想」に支えられた人気は、すぐに瓦解します。

こうした状況を、橋下知事は強権政治の推進、確立によって、突破していこうとしています。攻撃は一体であり、教育の問題にとどまらない、民主主義を守るたたかいとして、大阪における幅広い共同を広げながら取り組んでいく必要があります。

7、父母・府民のための教育を ―問われているのは、誰のための教育か―

今、大阪の教育に求められているのは、知事のための「命令」教育ではなく、子ども・父母の願いをしっかりと受け止め、共に教育をつくり上げていくことです。教育の主権者は、父母・府民です。貧困と格差の広がりの下で、子どもたちの生活実態は深刻です。

橋下知事の3年間で、教育条件はボロボロにされています。第1は、日常の教育活動が続けられない、「教育に穴があく」実態の広がりです。第2は、教育予算が減らされ続け、今年度を含めると合計589億円も削減されています。第3は、府立学校非常勤職員350人の一斉解雇や、私学助成削減、府職員の賃金カット、特別休暇改悪、「評価・育成システム」改悪など、「教育こわし」の推進です。その結果、住民税は1人当たり全国4位なのに、人口1人当たりの教育費は全国42位、1人当たり学校費43~45位、教員1人当たり児童生徒数44~43位など、大阪の教育条件は全国最低レベルになっています。

いま、大阪の教育に必要なのは、「日の丸・君が代」の強制などではなく、第1に教職員をふやすことです。児童生徒1人当たりの教員数を全国平均にするためには5000人の増員が必要です。第2は、学級規模を引き下げることです。第3は、競争と管理の教育政策を見直すことです。教育行政としての基本任務をおこたることなく、教育諸条件の整備・確立にしっかりと取りくんでいくことこそが強く求められています。

8、今こそ、幅広い府民的な討論を

「日の丸・君が代」の強制は、教職員と子どもの人格的なふれあいや、真理・真実を学ぶことをとおして子どもが人間形成をはかるという教育のいとなみに対し、それとは全く反対の命令や脅しを持ち込むことであり、教育の中心点をおしつぶすものとなります。

今、学校現場では、いじめや暴力、「学級崩壊」や登校拒否など子どもの成長・発達にかかわる多くの困難に直面しています。これらを克服していく上で重要な、子どもたちの心の内面に対する働きかけを困難にさせるものとなります。私たちは「教育の主権者」である父母・府民のみなさんと力をあわせて憲法、子どもの権利条約の理念にもとづく教育をいっそうゆたかに発展させ、学校への「日の丸・君が代」の押しつけを許さないとりくみをすすめるとともに、幅広く府民的討論を発展させて、「『君が代』起立条例案」の撤回へ、たたかいをすすめる決意を表明するものです。